アナウ
アシュガバートから東方向に行った所にあるアナウは青銅器時代からある都市型集落地で、特にパルティア朝とティムール朝の下で栄えました。
中世の要塞の発掘場所と遺跡に隣接したサイード ・ジャマルディンの豪華なモスクの門の遺跡は1456年に建設されました。門は1948年の地震で破壊しましたが、遺跡は印象的です。この地方の重要な巡礼地となっています。
アビヴァード
アビヴァードは紀元前2世紀からあった都市型集落地の考古学スポットですが、特に北ホラーサーンの主要なシルクロードの町の一つとして栄えました。
穏やかな気候とたくさんのバザーで有名で、歴史家たちに記録され、メルブ、ニサ、サラハスと並んで、パルティア朝、アラブ朝、ペルシャ朝、サラハス朝に賞賛されました。今日、砦とシャクリスタンの遺跡が地域の水源が19世紀に乾燥した時まで町が重要な役目を果たしていたことを証明しています。
メーネババ廟
メーネはメルブとサラハスをつなぐ中世のシルクロードの町でした。町のはずれにアブー・サイード(当地ではメーネババとして知られている)の霊廟があります。
アブー・サイード(967-1049)はスーフィー・シェイフとして知られており、彼の霊廟は今でも重要な巡礼地となっています。霊廟の設計はサラハスの建築学校の傑作(11世紀から12世紀)です。
ウルクデペ
ウルクデペ遺跡はこれまで中央アジア領域で見つかった中で最も長く人が住み続けていたことを証明している点でユニークです。
コペットダグ山脈の麓にある高さ30 mの高台が新石器時代、青銅器時代、石器時代にさかのぼって人家の存在を示しています。トルクメン・フレンチ考古学遠征隊が発掘、保存、修復作業を行っています。
アルティンデペ
今日高さ22 mのアルティンデペ遺跡には46 ヘクタールの領域があり、それは青銅器時代(紀元前3000-1600)の都市型集落の存在を表しています。
ジッグラートの遺跡では高さ12 mで26 mx26 mのサイズの建物が見つかりました。アルティンデペはメーネとカーカタウンから遠くなく、アシュガバートとマリーの間にあります。
ナマズガデペ
同じエリアにナマズガデペがあります。トルクメニスタンの他の青銅器時代の年代学に参考になるいろいろな時代の発掘が行われています。
ナマズガV (紀元前 2000-1600 )はナマズガデペが地域の生産と想定し得る政府の中心となった頃に最も重要な役目を果たしました。紀元前1600年頃、ナマズガデペはアレクセーエヴナまたはスルプナ文化の遊牧民の田園詩人たちの襲撃の後、以前の規模の一部に縮小しました。
ナーディル・シャー要塞(アカ・クフナ・キーババード)
大きな要塞の遺跡は18世紀のペルシャの総裁ナーディル・シャーの命によって建てられました。コペットダグ山脈の背側にあります。
四角型設計で、長さ1 km、高さ3 mの壁があり、12のサーキュラータワーが各壁を強化しています。南の壁は洪水で破損していますが、もう片方は今でも残っています。宮殿の廃墟が要塞の内部に見えます。
ニサ歴史公園(2007年よりユネスコ世界遺産)
コペットダグ山脈の麓にある自然の高台にあり、ニサは紀元前3世紀にこのエリアを統率していた初期パルティア人の支配者にとって重要でした。
ヘレニズム建築とゾロアスター教礼拝の証明をここで見ることができます。象牙のリュトン(角杯)の素晴らしいコレクションはここで見つかりました。これはアシュガバートの国立博物館にもあります。古代ニサにはパルティナ朝(3世紀)の終結までに住む人がいなくなりましたが、シャキリスタン(新ニサ)は19世紀中頃まで存続しました。
トルクメンバシ・スプリチュアルモスクとキプチャクの霊廟
キプチャクのスプリチャアルモスクは2002年と2004年に建てられ、世界最大級の5つのモスクの一つに数えられています(収容人数2万人)。
外側の設計はホワイトの大規模な大理石製で、黄金の丸屋根は遠くからでも見えます。モスク建築のディテールは多くのトルクメンのシンボルとなっています。隣接する墓所にはトルクメニスタンの初代大統領とその家族の墓があります。
ゲオク・デペ モスクと要塞
ゲオク・デペ(「グリーンヒル」)には19世紀に防備を固めた村落の遺跡があります。ここは1881年にロシア王の軍とテケ族のトルクメンとの間に重大な戦いが行われた所です。
サパルムラト・ハジ・モスク、小歴史博物館、要塞廃墟があります。モスクは1995年に建てられ、上にブルーのドーム(ゲオク・グンベズ)が載せられ、4本のミナレットによって支えられています。戦いの犠牲者のために奉納されたものです。
バハルデンのコワタ地底湖
コワタ(文字通り:洞窟の父)はトルクメニスタンに多くあるカルスト洞窟の一つで、何百万年前の炭酸塩が堆積して出来たものです。
洞窟湖の水には多種の鉱物があります。洞窟は深さ65 mで、湖は平均して深さ10 m。
水の平均温度は一年を通して37度。地底湖で泳いだ後は洞窟の隣の木々の下でティーとシャシュリク(肉の串焼き)を楽しむことができます。
コペットダグ山脈と月のような景色(「ムーンマウンテン」)
山脈がイランとの国境を形成しています。ユニークな保護植物、鳥と哺乳動物、そして珍しい月のような景色があります。サンバー川エリアが地域の中を伸びています。
ドライで亜熱帯の気候条件なので、ザクロ、イチジク、ピスタチオ、クルミといった野性および栽培型の植物が豊富です。古代の火山活動の結果、この地方の西部は変わった月のような丘になっており、草木が何もなく、ユニークなコントラストを描く風景となっています。
ノフール
ノフールはコペットダグ山脈の谷に住む小さな集団の里です。ノフール地方の文化は本土トルクメニスタンから孤立しているために保存されてきました。
ノフールはケテニ(トルクメンシルク)織りの中心でもあります。このアートは今日に至るまでほとんどどの家庭でも行われてきました。文化面の他に、素晴らしい山の景色、渓谷、滝そして高台もここを訪れる楽しみです。
カラカラ
カラカラはコペットダグ山脈の中心に位置し、木々に溢れた山の中にある小さい町です。そこから肥沃な川渓谷と月のような景色の両方を訪れることができます。
カラカラには野生の保護活動のためのベースとなっている植物園があります。近辺の村には有名なトルクメンの詩人マフトゥムグルに捧げた博物館があります。カラカラはアシュガバートとノフールからデヒスタンとバルカナバードへ西に向かう一泊旅行で行けます。
カラクム砂漠
カラクム砂漠はトルクメニスタンの領域のほぼ80 %を占め、ウスチュルト台地、アムダリヤ、ムルグハブ拠点川、旧ウズボーイ川およびカスピ海近くの塩湖が境目になっています。
砂漠の景色には高さ35 mの砂の台、肥沃な広々とした粘土土壌の平野があります。そこには、砂漠アカシア、ポプラ、黒と白の低木が生育し、平野部が塩で覆われています。羊群とラクダが肥沃な平野で餌と水を探します。春の時期、ここは実に見事です。
アーベントとボクルドク
アーベントとボクルドは両者共、カラクム砂漠に囲まれており、テケ族の人々が住んでいる村です。様々な遊牧民の家財道具やライフスタイルが完全に残っています。
ダショグズ・アシュガバート・ハイウェイに隣接しているので簡単にアクセスできます。ここを訪れると砂漠の生活を垣間見ることができます。ティーやチャイ(発酵させたラクダのミルク)を一杯飲んでいる間に、ユルトの設計を観察したり、トルクメンの平らなパンの焼き方やラクダの搾乳を見たりできます。
ムルザキラとアクモラ
本格的な砂漠の一団集落で、中央カラクム砂漠の中心部の低い盆地にあります。アクセスには4輪駆動車が必須です。キャンプスタイルで宿泊することが必要になります。
遠方であるため近代的な都会的発展の影響を受けるには限度があるので、ホスピタリティ、地方の伝統と遊牧民スタイルが、このコミュニティでは決定的役割を果たしています。昼間の暑い間に睡眠し、村は日の出と日没の頃に生活します。
ダルワザ
カラクム砂漠の中央にあり、天然ガスが豊富です。世界中から旅行者がやってきます。魅力は燃えるクレーターです。夜になると特にスペクタクルに見えます。
70年代の初期に天然ガスが満ちている地下の洞窟を発見し、開拓しないままでいたので、今日でも大きな60 m幅の円形の穴に何百という火が中で燃えているように見えます。炎の高さが10-15 mのものもあります。