フェラバとパラウ・ビビ廟と巡礼地
シルクロードのハブ拠点だったフェラバ・ラバト(9世紀から14世紀まで)はコペットダグ山脈の麓、ホラーサーンからデヒスタンへ向かうルートの途中にあります。karyz(地下水パイプライン)の入り組んだシステムで知られています。
建物の興味深い点は南向きの勾配の激しいヒルサイドです。269段の階段室を使ってアクセスできます。これはパラウ・ビビ廟で、トルクメニスタンの巡礼地でも最も重要なスポットの一つです。下には客間と共同キッチンで構成された大きな施設があります。
バルカナバード
バルカナバードはバルカン地方の首都です。バルカン地方で急成長しているオイル・ガス工業はこの町を発展させました。様々な外国の会社がここに支社を置いています。
レストランや快適なホテルが揃っているので、デヒスタン(南)へ向かう日帰り小旅行やヤンギ・カラ渓谷(北)に行く旅行やウズボーイ川、イディカラ、バリスヘムへ向かうのに便利な旅の出発点です。
デヒスタン
デヒスタンは歴史的にはミスリアンとして知られており、エトレック川の土手沿いにある町でした。シルクロードの時代に栄え、クフナ・ウルゲンチやメルブとその重要性において肩を並べていました。
これはホラズムをペルシャとアラブの国々と結びつけました。市壁と2本の高さ20 mのミナレットの印象的な遺跡、そしてホラズム朝の王モハメド(1200-1220)の名前が中に刻んである高さ18 mのモスク門の遺跡が今日まで残っています。
マシャト・アタ廟とシル・カビル・モスク
デヒスタンタウンから7分程のところにある共同墓地の領域で5つの墓所(11世紀から12世紀)が部分的に残っており、初期のシル・カビル・モスクもあります。
これはトルクメニスタンに残っているものの中でも初期(9世紀から10世紀)のモスクです。オリジナルの破片はユニークなミフラーブ(聖龕)の中に保存されていました。旧石器時代の墓は周りにある種族の共同墓地で見つかりました。
カスピ海
黒海のようにテチス海の名残で、地殻運動の上昇と湖の水位の落下により550万年前にこの位置に落ち着きました。地球上で最も大きい湖です。
海岸線に沿ってカラボガズ・ゴルフ等いくつかの塩の沼地が見つかりました。多種のキャビアのためのチョウザメ、マス、白味の魚、カスピカイアザラシがカスピ海を住処にし、何百万もの鳥が冬海岸沿いの保護区域に見られます。その中にはフラミンゴやペリカンも居ます。
トルクメンバシ港
旧クラスノボスク、トルクメンバシはトルクメニスタンの港です。低地と絶壁が町を囲み、驚くべき地理的位置にあります。
トルクメンバシは発展し今日ではトルクメニスタンで最も大きい工業と観光の中心地の一つです。興味深い博物館があり、そこではトルクメ二スタンの鉱物資源、カスピ海の動物群、トルクメニスタンの海運の歴史を知ることができます。
アワザ
アワザは超近代的なホテルチェーンの総称で、カスピ海沿いにあるレクリエーション総合施設です。カスピ海にはプロムナードと人工運河で接続しています。
砂漠や渓谷や山脈をドライブして長い一日を終えた後、アワザの5つ星ホテルの一つに滞在すればパーフェクトに元気回復できます。海で泳ぎ、ビーチでバーベキュー、そしてプールバーでドリンク、またはビューティトリートメントをお楽しみください。
ゴズリ・アタ廟と巡礼地
ゴズリ・アタ廟は衝撃的なピンクと赤い石灰岩で出来た岩を背景にした低い台地の上にあり、トルクメニスタンで最も聖なる巡礼地の一つです。
霊廟の周辺は大きなサロア族の墓地です。ゴズリ・アタ(文字通り:全てを見る父)は12世紀トルケスタン(現在のカザフスタン)で勉強した有名なスーフィー教教師のことで、彼は人々の心の中を見る能力を持っていると言われました。
ケマル・アタ廟とカイタルミシュ火山岩形成
霊廟はゴズリ・アタ廟から25 km程離れており、そこは新鮮水の源流が様々な形をした古代の火山岩を通って小さな谷に出てくる所です。
ケマル・アタはゴズリ・アタの弟子だと言われています。しかし、霊廟はこのエリアを訪れる主目的ではありません。カイタルミシュの泉は牛を連れた地元の羊飼いにとって人気の水飲み場で、乾いた溶岩からなる様々な岩の形で覆われた大きなエリアに隣接しています。
ヤンギ・カラとヤンギ・スウ
印象深いホワイト、グリーン、そしてレッドの石灰岩の形が砂漠の砂から聳えています。この絶壁は先史時代のテチス海の広く行きわたった海岸線と海底の名残です。
この夢のような景色は一日のどんな時にも印象的ですが、日没と日の出は特に素晴らしい眺めです。アクセスには4輪駆動が必須です。バルカン山脈とラクダやヒツジや馬が草を食べている広大なハイランドエリアを通りぬけて行きます。
ウズボーイ川
ウズボーイ川はアムダリヤ川の支流で、750 km流れてカスピ海に注いでいました。17世紀に突然枯れてしまい、その土手に沿って栄えていたホラズム・デヒスタン文化が崩壊しました。
川文明は少なくとも紀元前5世紀から川の土手に沿って存在していましたが、現在はクムリ族の2,3の共同体しか住んでいません。いくつかのユニークな貯水池が川の遺産として作られました。新鮮水のヤシュカ湖とモラガラ塩湖が良く知られています。
メレゴックとバリスヘム
本格的な砂漠集落の集団で、東カラクムの中心の低い盆地に位置しています。アクセスには4輪駆動が必須で、宿泊はキャンプスタイルになります。
遠方であるため近代的な都会的発展の影響を受けるには限度があるので、ホスピタリティ、地方の伝統、遊牧民のライフスタイルが、このコミュニティでは決定的な役割を果たしています。昼間の暑い間に睡眠し、村は日の出と日没の頃に生活します。
イディカラ要塞
イディカラはパルティア軍要塞の遺跡です(紀元前1世紀から紀元4世紀)。ウズボーイ川の高い岩山の上にあります。セルダウタウンの北150 km、砂漠の奥に立っています。
この要塞はウズボーイ川沿いを行く水上商業交通(インドから黒海領域)を管理しました。特徴のない建材(石)にもかかわらず、イディカラは細部にいたるまでホラズン人の建築スタイルの原則を再現し、そのレイアウトはパルティア人の標準に完全に調和するものです。